次に、小林さゆりさんの事例を説明します。小林さんはもともと長野市で暮らしていて、ALS発症により介護が必要になり、実家の信濃町(長野市から車で1時間ほどの新潟県堺の町)に帰って母親(当時78歳)の介護を受けていました。2016年に協議会に相談がありました。そのときには、胃ろうはスタートしていましたが、まだ人工呼吸器はつけていませんでした。24時間の介護が必要な状態でした。しかし、サービス利用は少なく、介護保険の訪問介護は月曜から土曜に朝一時間、金曜のみ昼も1時間、訪問看護は週2回でした。それ以外の時間はすべて母親が介護していました。母親は介護の疲れも有り、体のあちこちに故障や病気がありました。24時間の過酷な介護で、家庭崩壊寸前だったと思います。
しかし、地域にヘルパーが不足し、これ以上のサービスを受けられませんでした。
小林さんがパソコンで協議会や全国のALS支援者とメールのやり取りができない状態だったため、協議会が費用負担し、町内の障害者介護経験者の吉村まきさんにアルバイトを依頼し、時々小林さんの家に行き、パソコンの特殊入力機器の設定などをお願いしました。吉村さんの支援はその後、重度訪問介護の申請書類作成支援や、介護全体のコーディネートや、自ら自薦ヘルパーになりヘルパー新人に介護を教えたり、小林さんが1人ぐらしする家探しなどを総合的に担当するようになっていきます。
協議会に相談があった後、小林さんは、町に重度訪問介護の申請をしましたが、1年もその申請に対して町が動きを見せませんでした。(相談支援員や吉村さんの町への訴えで、各種サービス利用は徐々には増えていきましたが、重度訪問介護の連続利用は認められませんでした)
一方で、小林さんは介護体制が正常化すれば、一人暮らしに戻って友人の多い長野市に戻りたい希望でした。そこで、関東の自立生活センター(CIL)5カ所から24時間介護を使っている障害者講師に小林さんの自宅に行ってもらい、出張自立生活プログラムを行ってもらいました。このプログラムでは、自薦ヘルパーの雇用方法や育成方法、いい関係のとり方、障害者の責任の取り方、などの介助に関わる知識のほか、障害について、家族との関係、制度について、などについて学びました。(費用はCILと協議会が負担)

町の障害福祉の姿勢があまりに後ろ向きだったため、協議会の呼びかけで、全国のCIL等障害者団体や障害者個人からカンパが集まり、介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネットに依頼し、重度訪問介護申請のための弁護団を作ることになりました。しかし、弁護団が重度訪問介護の申請書に補充資料をつけて詳しく説明したのにも関わらず、重度訪問介護の申請に対して、全く支給決定が行われませんでした。
最初に小林さんが重度訪問介護の申請して1年たち、なんの決定も出ない違法な状態なので、やむなく、弁護団の判断で、裁判を行うことにしました。
その情報を弁護団が町に伝えると、町はすぐに重度訪問介護を支給決定しました(申請の1年無視は、明らかに違法状態だったので、確実に敗訴することがわかっていたため、法務に詳しい職員に指摘されたものと思われます)。ただし、毎日24時間の介護を求めた申請に対し、町の意見としては、24時間の介護が必要な状態になっていることは認めるが、同居家族がいることを理由に、1日8時間程度の決定でした。
このままでは、また数年以上、重度訪問介護の支給決定時間が毎日8時間のまま伸びないことが予想されました。これでは介護疲れで家庭崩壊が目に見えていました。そこで、小林さんの目標にしていた長野市での1人ぐらしを早急に行うことを目標にし、まずは信濃町内で貸家を探しはじめました。
全国ホームヘルパー広域自薦登録協会が自薦ヘルパー利用を小林さんにアドバイスし、長野市で常勤ヘルパーを求人(通勤往復2時間の時給や交通費も事業所が負担する方法で)し、面接して確保しました。信濃町内でも吉村さんの知人の主婦などがアルバイトで自薦ヘルパーをかって出てくれました。町内で探していた貸家も見つかり、長野市で集めていた常勤自薦ヘルパーも数人確保でき、なんとか毎日24時間の介護を自薦ヘルパーと吉村さんでまかなえる見込みが立ち、一人暮らしを開始することにしました。
そして、2018年6月に、一週間後に一人暮らしすることを弁護団を通じて町に伝えると、町は、数日後、「重度訪問介護の支給決定を2月にさかのぼって月744時間(毎日24時間)にする」ことをスピード決定しました。このため、弁護団は裁判を取り下げました。
その後、引き続き長野市で自薦ヘルパーを求人し人数を増やし、町内の貸家での暮らしは道が凍結する冬になる前に終え、長野市で借りた貸家に引っ越しました。自薦ヘルパーは長野市で雇用していたので、無理なく引っ越しができました。吉村さんは介護チームのコーディネーターとして引き続き小林さんの生活全般のサポートを行っています。長野市においても、訪問看護や医師など地域の医療福祉のサポートを受けています。ALSで1人ぐらしはこの地域では初ケースのため、訪問看護などがとくに熱心に支えてくれたそうです。
長野市は引っ越しにあたり、信濃町と同じ重度訪問介護の時間数を決定しました。相談から決定まで迅速なでした。今は一部2人介護の支給も行っています。
また、ALSの進行により、何度か入院することもありました。気管切開して人工呼吸器も使い始めました。入院中にも重度訪問介護は使えるため、いつもの慣れたヘルパーが自宅と同じシフトで入院中も病室に付き添いました。地域の病院(複数)が協力してくれました。
小林さんの自薦ヘルパーは今、常勤で5人。みな、ALS特有の特殊な介護に慣れ、吸引や胃ろうのケアも行え、外出介助も行っています。プロフェッショナルなヘルパーたちが育っています。
小林さんはALSの中でも特に体が痛くなるタイプで、外出がとても大変ですが、今年は東京にコンサート観戦にも行きました。これには、医師やOTや看護など多くの人が準備を手伝ってくれました。コンサート当日は自薦ヘルパーと吉村さんが付き添いました。
現在は、小林さんと吉村さんは、地域で他のALSや重度難病患者の集まりなどに出向いたり、看護など専門家を通じて、他の患者に情報提供し、自宅訪問を呼びかけたりして、この制度が必要な人にノウハウを伝える活動を始めています。

小林さゆりさん写真 長野市にて

2020.3月 訪問医療で在宅医の定期訪問時診察中の様子

(コンビニ)→2019.10月 外出練習、家の近くコンビニへ OTさんとヘルパーと共に

(ケーキ屋さん)→2019.10月 嵐のコンサートのための外出練習 OTさんとヘルパーと共に

(ミヤスクにむかうさゆりさん)→2019.9月 車いす移乗練習を兼ねてミヤスクお試し中

(講演会会場)→2019.6月 NPO法人北信ふくしMネット研修会での講演会にて ヘルパー2名と弁護士、相談員、企画スタッフと共に

前列左がコーディネーター吉村まきさん