24時間の公的介護保障を受けて 長崎市 山口和俊
1. 筋ジストロフィーを持って生まれて
私は先天性プレクチン欠損症という障害で、筋ジストロフィーと表皮水疱症という2つの難病を持っています。障害の進行に伴い、2013年7月から気切下で24時間人工呼吸器を使用しています。翌年には喉頭気管分離手術、胃瘻造設術を受けました。今は、ほとんど自分の身体を動かすことができず、食事を摂ることも、声を出すことも、呼吸をすることさえも難しくなり、日常生活においてほぼ全介助が必要です。
2. 24時間公的介護が保障される前
気切下で人工呼吸器を着けて退院した2013年9月から在宅生活が始まりましたが、母にかかる介護負担は大きいものでした。
私は両親との三人暮らしでしたが、父は自営業を営んでいるため、朝早くから夜遅くまで職場に。母も日中は父の職場に出ており、夜間は私のコール対応と十分に休めない状態が続いていました。
公的介護が保障される前は、いつか両親が私の介護をできなくなった時、どうやって生きていけばよいのかという不安を抱えていました。また、病院や施設で生活を送るのは嫌だという強い思いもありました。
3. 24時間の支給交渉に当たって
2016年3月頃より24時間の公的介護に関して、相談支援専門員や近県のCILなどに相談するようになりました。
全国障害者介護保障協議会に属するCILからはたくさんのアドバイスをいただきました。サービス等利用計画案において、一日を通して常に見守りが必要であり、家族にかかる介護負担が大きいこと、私が公的介護を受けて地域で自立した生活を送りたいという強い意思があることを行政に伝えました。
4. 24時間の支給決定を受けて
2016年7月に重度訪問介護797時間/月(うち移動介護加算106時間/月。二人体制可)の支給決定を受けました。24時間の公的介護が保障されたことで、家族介護に頼らなくても、地域で自立した生活を送ることができるという安心感が得られました。
支給交渉と同時に介助者募集も行っていて、運よく募集もありました。支給決定後、夜間の見守りなど、少しずつ介助者に入ってもらう時間を増やしていきました。おかげで、私も家族も安心して寝られるようになりました。
また、喀痰吸引、経管栄養等の医療的ケアを介助者に習得してもらいました。
こうして家族にかかる介護負担は確実に軽減していき、私も家族も少しずつ余裕が生まれてきました。
5. 現在の生活と今後
現在(2017年7月)は、6名の介助者の力を借りながら、親元を離れて、地域で自立した生活を送っています。全身性の重度障害を持つ私ですが、24時間の公的介護保障を受けて、あまり不自由を感じることなく生活できています。
人工呼吸器を背負い、新幹線や飛行機に乗って遠出したり、呼吸器ユーザーの地域生活について講演したり、自分の意思で自分の世界を広げながら、日々の生活を自分らしく生きています。
今後、私は私と同じように医療的ケアの必要な重度の障害がある方の自立生活支援に携わりたいとの思いがあります。
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