1. 自立生活を始める前
私は生まれつき筋ジストロフィーという疾患を持っています。疾患により、身体障害、呼吸機能障害、嚥下機能障害、排泄障害、内部障害(主に心臓)を持っています。
私は、東京都葛飾区で生まれ、千葉県野田市で育ちました。現在はさいたま市での自立生活を経て、東京都M市で自立生活をしながらセンターの設立を目標に活動しています。
幼稚園に通っている際に筋ジストロフィーの初期症状であるアヒル歩行(腰を突き出して体を左右に振る歩き方)であることを保育士が見つけ、両親に連れられて検査入院をしたところ、筋ジストロフィーと診断されました。当時は呼吸機能障害によって20歳までしか生きられないというのが一般的で、診断によって親族一同、ショックを受けていました。病気が治るらしい粉を親族がインドから買ってきたり、電磁波の発生する水晶を持つように言われたりと、根拠のない迷信を押し付けられ、障害に対する親族の認識にどこか違和感を持ちながら幼少期を過ごしました。
親の考えもあり教育委員会と話し合い普通学校に入学してから、病気がどんどんと進行して車椅子生活になる中、健常者とのギャップに戸惑い、時には不登校になりながら学校生活を中学まで送りました。呼吸機能の低下により体力的な限界を感じて、高校は特別支援学校を選びました。高校卒業直前に気管支炎を起こして、血中の二酸化炭素の数値が高まったのをきっかけに夜間のみ鼻マスクによる人工呼吸器の使用を始めました。
卒業後に重度心身障害者通所施設に通いましたが、車椅子を並べさせられテレビを観させられる日々に耐えられず、当時18歳の時にたまたま見つけた全国障害者介護保障協議会のホームページで施行されたばかりの支援費制度を知り、通所施設に出入りしていた役所のケースワーカーに「こんなところにいたくないので、ヘルパーの時間数をもらえませんか?」と聞いたところ、平日の日中9時間分の時間数を獲得しました。近くの大手介護事業所に介護派遣を頼みましたが、異性介助しか提供されず、強い抵抗を感じながらもしぶしぶ異性介助を受けていました。
2. 自立生活を目指すきっかけ
利用していた大手介護事業所の不正請求がテレビで報道され、その介護事業所が他会社に買収され介護派遣事業は継続となったものの、会社への不信感からそれまでメインで入っていたヘルパーが二人退職してしまい、他事業所を探すことになりました。しかし、自立支援法に変わったことで身体介護から重度訪問介護に切り替わったことで介護報酬の単価が下がり、どの事業所からも短時間の重度訪問介護による派遣を行ってもらえませんでした。身体介護と重度訪問介護を併用するという特例が認められて数か所の介護事業所が入ることになりましたが、ヘルパーの交代が10時間に5回も行われるようになり外出することに制限が掛かるようになりました。月一回の通院しかできない月もありました。今では考えられません。良くそんな生活に耐えられたなと思います。
更に母が癌を患ってしまい摘出手術のため入院することになり、仕事帰りの父に介護を頼まなければならない日々が続き、父が心身ともに疲れ果てて行く様子を見ているのが辛くなりました。このまま実家に居続けたらいずれは病院や施設での生活になると焦るようになり、再び全国障害者介護保障協議会のホームページで自薦ヘルパーの存在を知り、自薦を使って一人暮らしをしようと思いましたが、24歳でいきなり使うには自信がなかったので、さいたま市にあった自立生活センターの力を借りて、一人暮らしを決意しました。
投稿者プロフィール
- 全国を対象に障害者の一人暮らしのサポートを行う支援会です。現在では主に身体障害(肢体不自由)のある施設やグループホームに入所、入居されている方や、受け入れ先がなく行き場がない、とお困りの方の一人暮らしのサポートを自立生活センターが中心になって行っています。