必要とする時間の公的介護保障を受けて 調布市 秋元妙美
1. 障害と生い立ち
仮死状態で生まれた私は痙性を伴うアテトーゼ型脳性まひで、若干の言語障害があり、日常生活は何とか自分でできることはありますが、完ぺきにできることが何一つなくほぼ全てにおいて介助が必要です。昔は無理無理歩いていましたが、現在は電動車いすを使っています。
物心ついたころには機能訓練中心の生活でした。機能訓練自体は嫌ではなかったのですが、同年代のいとこが遊んでいる時に自分が違うことをしなければならないのは、寂しく思ったのを覚えています。当時は医学モデル中心の時代でしたから、努力してADLを向上させること・どんなに時間をかけても自分でできるようになることが第一でした。いつの間にか自分は頑張らなきゃいけない存在と思うようになっていました。それでも日常生活で介助を必要とすることが多く、周囲の顔色や状況をうかがいながら頼んでやってもらうことが多かったです。公立の小学校・中学校、支援学校、大学に進みました。「できることはどんなに時間をかけても自分で、できないことは工夫して、どうしてもできないことは頼む」そんなスタイルを貫いてきました。大学時代は寮での生活でしたから、生活そのものに時間を取られ、学生生活はおまけのようなものでした。
2. CILと出会って
就職して一人暮らしすることを夢見ていましたが、上肢に重い障害があり、就職ができなかったので、なくなく区内の実家に戻りました。何かできることはないかと探す中、地元のCILに行きつきました。「長時間かかって身支度をして社会活動できないでいるよりも、介助を使って短時間で身支度し、社会活動する方が自立している」という考え方が突き刺さりました。ただこれまでの考え方を一変させるのは簡単ではなく、実家からCILに通う期間が2年ほどありました。その間に多くのピアカウンセリングや自立生活プログラムを受けました。そうした中で、「私も介助者を使って自立生活をして、多くの仲間のロールモデルになりたい」と思うようになりました。実家から車で15分ほどのところに部屋を借り、自立生活をスタートさせました。とはいっても、最低限の介護時間しか使わず、身体と家事の組み合わせで朝1.5時間・夜2.5時間ぐらいだったと思います。頼まないと生活が成り立たなくなってしまうことをお願いして終わるの繰り返しでした。それでも以前は考えられない生活でした。着れる服ではなく、着たい服を着て、食べられるものではなく食べたいものを食べ、そんな当たり前のことに幸せを感じました。
いまだに忘れられない出来事があります。自立生活を始めてから、たまたま大学の寮の後輩に会った時に「秋元さんおしゃれになりましたね」って言われたんです。ただ着たい服を着るようになっただけですが、周囲の目にはそんな風に映るんだ、これが自立なんだって思いました。
縁あって、多摩地域にあるCILに当事者スタッフとして活動することになり、それと同時に調布市に移ってきました。介護サービスも日常生活支援(当時)に切り替えて外出も含めて長時間介護を受けるようにし、電動車いすも常用するようになりました。それまで歩けるのに車いすを使うことに申し訳なさや抵抗があったのです。歩けるといってもいつ転んでもおかしくない歩き方で、しかも相当の労力を奪われてしまうのですが…。やっと自分自身の中にあった医学モデルから脱却し、社会モデルで生きていく道に出れました。ヘルパーさんについてもらって縦横無尽に動き回れる喜びはひとしおでした。特にこのお店で食べたいと思った時にその場で食べられるのは最高の感覚でした。
そこの代表が推進協会にかかわっていたこともあり、私も様々な研修に連れて行ってもらいました。そこで全国各地で奮闘する仲間と出会い、今につながっていったのです。
3. 仲間の支援をするようになって
推進協会の研修に参加させてもらう中で、自分も全国どこでも重度障害者が一人暮らしできるようにしていきたいと思うようになりました。1からCILを立ち上げないことには、他の人の支援なんてできないと思い、先輩方の力をかりながらCILちょうふを立ち上げました。それに伴い、CILの活動時間も公的介護を使えるように(それまでは当事者スタッフとして働いていたので、その部分の介護時間はもらっていませんでした)市役所に交渉し、それまでの倍近い時間数をもらいました。自分で介助者を集め、全国広域を使って必要な時間に入ってもらうようになりました。自分のところはまだまだ小さな団体ですが、全国の仲間とつながり、自分のできることがあれば、どこにでも行かせてもらっています。わずかでも仲間の力になれることが喜びです。そしてご当地のおいしいものを食べられることが楽しみになっています(笑) 近年は、ライブに行くことにはまり、年に3・4回は行ってストレス発散しています。自立する前は考えられなかった生活が今は当たり前にできています。
年々障害の重度化や二次障害が出てきて必要な介護も増えていますが、必要になった介護時間はその都度市役所に交渉して増やしてもらっています。障害が重くなっていっても自分らしい生活ややりたい活動をしていけるロールモデルになっていこうと思います。
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