私の半生

 2016年9月7日、日本赤十字社医療センターで脊髄手術を受けた。周囲の友人、知人の話は聞いていたが、まさか自分が受けるとは夢に思わなかった。

 196925、医師から一生寝たきりと宣告をされていたが、都立北療育園(当時)に4年間入園しリハビリを受けた結果、歩ける様にまでなりました。退園後は、母がリハビリの先生より訓練の方法を聞いていて、妹と三人で家の都営住宅の1から12まで上る訓練はじめました。

 その後徐々に一人で外出が出来るようになり、ボランティア活動にも参加しました。時にはまさ思うような事もしました。北海道に行ってスキーを履いてボランティアさんと一緒に滑ったり、洞窟探検もしました。本当に、今でも感謝しきれない貴重な経験になりました。地元で幼少期より受けていた指圧の先生から「歩けるようになったら、一緒に阿波踊りに参加しよう」と誘われて連に所属し地域の人たちと交流もしました。連の人たちも私を快く受け入れてくださり、楽しく参加することが出来ました。

 しかし、数年前より歩行が困難になり、身体全身にも変化が現れてきました。自分ではさまざまな原因を考えましたが、それでも身体の機能が回ません。病院で脊髄のMRIを撮ってみました。MRIを撮った結果、脊髄が骨で圧迫されて、このままにしていれば寝たきりになるとの診断でした。このような診断結果を聞いて、「以前の身体に戻れれば」と思い、即答で手術を受ける決意をしました。

 手術は、脊髄をチタン製ボルトで固定をする予定でした。しかし、前日に医師からの説明があり骨のを削り取る方向に変わりました。6時間かかると聞いていましたが、気が付いてみると4時間で終わりました。手術をした晩は傷跡が痛かったものの、翌日からは痛みも無くなりました。

 二日後らリハビリも始まり、歩行訓練や、作業療法の訓練も順調に進みました。

 術後週間で都立北療育医療センターに移転し、リハビリを続けました。脊髄が圧迫されていないころの状態に戻るように訓練をしましたが、最初は順調回復するように思いました。ひざ歩きや床からの立ち上がりを中心にしていましたが、徐々に出来なくなっていました。その後、整形の主治医より「今後は、ベッ生活になります」と宣告されました。宣言を聞いて、「これで、いままで通り自由にならないのか」と思いました。

 自宅にはベッドを置くスペースが無いため、無料低額宿泊所での生活になりました。最初は、ショートステイと平行で行ったりきたりして、気持落ち着きませんでした。翌年2月より本格的に無料低額宿泊所での生活が始まり、ヘルパーさんとのコミュニケーションをとりながら生活をしていまた。

 無料低額宿泊所低額所得者ため宿泊所で、場所ヘルパーさん頼ん生活ていした。

 今、私の半生を振り返ってみると、友人、知人に比べて恵まれた環境だったと思います。

一生寝たきりになると宣言された私を、家族みんなで支えてくれたからこそ自由に動ける様になっていたと思います。家族には、本当に心から感謝しています。これから、両親には私の介護で忙しくしくれた分ゆっくり過ごしてほしいです。

 自宅から離れて生活をしてみると、少し淋しくも感じました。けれど、周囲の仲間と仲良くしながらしていまた。

 無料低額宿泊所生活三年7った去年10月、ゆきわりそうグループ相談員重度障害者相談支援会探してい登録した。

 家族私の生活サポートていましたが、今回生活道具引っ越し先の準備一人でしてきました。

 ネット家庭用品注文ヘルパーさん一緒におって家具購入しました。

 初対面ヘルパーさんコミュニケーションも、最初言葉大変でした。

 れども、毎日コミュニケーションていくうに、言葉を理解してもらようってきました。

 食事朝、パンヨーグルトコーヒーで、メニューす。

夕食最初コンビニ弁当が、徐々にヘルパーさん腕を振って調理す。ても、美味しいです。

 れから自身責任生活ていますが、方々に迷惑からないように心得きたいです。

投稿者プロフィール

障害者一人暮らし支援会
障害者一人暮らし支援会
全国を対象に障害者の一人暮らしのサポートを行う支援会です。現在では主に身体障害(肢体不自由)のある施設やグループホームに入所、入居されている方や、受け入れ先がなく行き場がない、とお困りの方の一人暮らしのサポートを自立生活センターが中心になって行っています。