24時間の公的介護保障を受けて 高知市 村田一平 頸髄損傷C3
1. 頸髄損傷になって
1998年、事故によって頸髄を破裂骨折して、首から下がまったく動かなくなりました。呼吸もできなくなり気管切開をして24時間呼吸器をつけています。病院生活は3年ありましたが2年目にしてカフエアーのリークが発声のきっかけになり、今では呼吸器のエアーをリークさせながら会話をしています。
病院生活を3年、身体障害者療護施設に3年、母親との在宅生活を9年を経て1人暮らしを始めました。1人暮らしを始める1年前にチンコントロールで電動車いすに乗れることに気づきそれからは電動車いすで移動しています。
受傷から自立へ
・病院 15-18才
・施設 18-21才
・在宅 21-30才
・自立 30-33才
2.24時間公的介護が保障される前
施設を出てからの在宅生活では日中は10時間のサービスを利用し、夜は母親の介助で生活をしていました。この生活はとにかく施設から出たい思いで始めました。施設から出られたのはいいものの、結果的に過労な介護によって両親の体力と時間も奪うことになっていました。自分の日常生活の自由さもなくなっていて、生活の不安定さ、両親が体調の悪い時には自分の生命すら危うくなる、そういうことが何度もありました。
それで家族との同居に危機感を感じはじめたころ、独立したいと思いだした頃に知り合いに進められ、県外の自立生活センターへ自立生活プログラムやセンター見学をさせて頂きました。僕はそれで”自立生活センターをつくるしかない”という思いが強くなりました。
3.全国団体の支援を受けて
自立するには、全国障害者介護保障協議会さんや県内外の自立生活センターさんにたくさん相談に乗っていただいて可能にになりました。24時間の基本的な生活、入浴排便の2人介助、外出外泊の際の2人介助、24時間以上の支給決定を受けての生活が可能になりました。僕自身では行政との24時間交渉も難しかった中、適切なアドバイスを頂いて行政にも自分の想いを伝えられました。
4.24時間の支給決定を受けて
一日のスケジュールの組み方が大きく変わったところがうれしかったですね。自由にどこへでも何時でも出かけられるし、それがふつうにできるという解放感。それに安心と安全が守られてる。それに親子関係。完全にお互いが独立できたことでお互いの生活が自由になり、長い介護生活で作られてきたお互いのイメージも変わり家族の関係性も回復していると思います。
5.現在の生活と今後
現在は自宅を介護派遣事業所として指定申請をとり計6名の介助者に2交代制で生活を作っています。僕自身、重度で呼吸器をつけていますが、まだまだ重度障害者が地域で生活できる体制になっているとは思っていません。これからいろんな障害を持つ人が自立していくべきですし、高知では逆に軽度の障害者がサービスが獲得できないという現状もあります。本来誰しもが地域で生活することができるべきですし、そのサポートができればと考えています。
写真
日常生活写真^^
お出かけ編^^
失敗編(^^;
それと、自立をして知ったことがありました。全国に仲間がいるということ。いつでも支えになってくれて一緒に頑張っていける。そんな仲間の大切さに支えられています。
制度へのコメント